B-REVIEW(仮)掲示板

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詩の読み方について語るスレ kaz.

2017/08/15 (Tue) 16:38:36

スレなんて名前つけていいのか……

断っておきますが、私はこのスレで選考に圧力をかけようとかそういう気は全くないです(結果的にそうなるかもしれないけれども)。

その代り、リファレンスはできるだけ正確にして欲しい、という希望があります。昔誰だったかニーチェ読めだのハイデガー読めだの言われたことがあるのですが、そんなことを言われたって困るわけです。私だってニーチェやハイデガーに対して独自の解釈を持っているわけですから、「この箇所に関してこういう見解を持っているから、私はこういう主張をしたい」という話にできたら、いいかなと思っています。

はい。本題に行きましょう。単純にここは、「語る」スレです。なので、熱く語る分には構いません。ただし、語るより読むほうが早いことも往々にしてあるので、いわゆる「教えて君」を受け付けるスレッドにはしない予定でございます。

何を語るかというと、これも、簡単に「詩の読み方」について、です。詩の読み方? いや、実はかくいう私も詩の読み方がよくわからなくなってきていて。笑。

例えば。そもそも論としてよくわからないのが、ここ(ビーレビュー)にはいちおうプロの詩書きの方、プロの美術批評の方、などなど色々な方がいらっしゃるようですが、作品の評価の『手法』に関して統一的な見解が取れているのか、という点です。その点B-REVIEWはよくできていて、作品の選考過程がかなり透明化されているのですよね。で、それで猶更疑問に思ったのですが、透明化されているにもかかわらず、それぞれの作品に対して解釈の大きな衝突のようなものが見えない。将来的には起こるのかもしれないけど、この作品に関してはすごく違和感があるとか、この作品は優良になんとしても推したいとか、そういうのが見えないのですよね。自分のプライドをかけてこの作品を推すだの、推さないだのみたいな、そういうバトル的な駆け引きが見えない。例えばこの前の芥川賞を取った『影裏』について考えてみると、山田詠美は強く推してるけど村上龍は推さない、みたいな感じがあるわけですね。

人それぞれ読んでいるもの、書いているもの、好んでいるものは違いますから、その中で選考するというのはなかなか困難な問題だとは思うのです。だから、先にお話しした選考委員による「統一的な見解」というのを無理に捻りだせというのがこのスレの趣旨ではない。むしろ、てんでばらばらな意見をみんなで述べ合い、ブレストしていくことが重要なのではないかと思っているのですね。

例えば以前B-reviewに「log」という詩が投稿されたことがありました。で、私はああいう短詩がすごく推しで、投票システムができたときに何票も投票し(そのシステムもどこかに立ち消えてしまいましたが)、選考の中で言及される機会を得られた。
で、今回一行詩が次々と投稿されていて、そういう中でまた「詩とは何か」ということが浮上してきているように感じます。

もっと言いますね。例えばつい昨年、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した。これは実は私にとって決定的なターニングポイントでして、今まで文学と音楽とは全くの別物だと思っていたのが、そうではないということが明らかになった(もっとも、ボブ・ディラン自身は「歌は歌われるためにある」と言っているわけですが、和語としては「歌」と「詩」は同じ読み「うた」になりますよね)。

で、そういう観点から詩というものを見たとき、真っ先に目につくのは、例えば震災後の連詩組の書いたような現代詩の類ではなく、日本にヒップホップ文化が浸透し、フリースタイルダンジョンがアメーバTVに流れてTwitterでラッパー(例えば呂布カルマ)の名前がトレンド入りしたことや、つい先日2017年5月31日の出来事としてはボーカロイドプロデューサー(いわゆるボカロP)のkemu氏が約4年間の沈黙を破って新曲を発表し、わずか二時間足らずでTwitterで5万近いツイートがあったためトレンド入りしたことも記憶に新しい「詩の更新」と言えるのではないか、ということだったり。

あとは、2ちゃんねる時代に流行したアスキーアートやニコニコ動画の弾幕からタイポグラフィーのような芸術性を読み取る文脈もあったりする(二次情報のため出典は未確認)ようです。これが詩でしょうか? 詩とはいったいなんだろう? と、疑問に思ってスレを立てたわけです。

そんなこんなで、ごゆるりと。

Re: 詩の読み方について語るスレ - HAneda kyou

2017/08/15 (Tue) 19:52:02

何かが伝わるのなら、それは詩である

怒られるかもしれませんが正直、そう言う気がしてなりません。
この本「夜露死苦現代詩」を読んでそう感じました。
https://www.amazon.co.jp/%E5%A4%9C%E9%9C%B2%E6%AD%BB%E8%8B%A6%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%A9%A9-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%83%BD%E7%AF%89-%E9%9F%BF%E4%B8%80/dp/4480427023

この本では、文章の誤変換、暴走族の特攻服の文章、性風俗のHP、ラッパーのリリックなど、詩として見られなかった詩にスポットを当てています。
何かを伝える気が無いものでも、何かを感じさせてしまえるのならば、大きな意味で詩なのでは。


詩とは、よりも何かからどう感じるのか、の方が重要かも知れません。

Re: 詩の読み方について語るスレ - 竜野欠伸

2017/08/17 (Thu) 09:00:14

おはようございます。
 
 主に詩の読み方にかかわり、3つのテーマにわたる案件があります。
実際のところ、生命をどう捉えるかというような、社会問題にも触発されているテーマに直面している詩作が多々ある現状に一言申し上げます。ここでは、不確実性に満ちた、立ち位置に書き手と読み手が立つことが、ある意味で、未解決事件のミステリー小説の一当事者に読者が立たされていることと似ています。別に腫れ物に触るようなニュアンスでは事の重大さだけが独り歩きしてしまうので、端的に問題を挙げます。これらは生命の危機にかかわってもいます。
具体的には、①障がい者についての社会的な偏見をテーマとして読者にゆだねてしまわざるをえない詩、②国家による戦争行為をテーマとして政治的な立場を読者にゆだねてしまわざるをえない詩、③地球環境問題をテーマとして、その個人的な見解を読者にゆだねてしまわざるをえない詩、私自身が感想を書かざるを得なかったものとしても3つのテーマに渡ります。ここでは、具体的な話ではなく、あくまでも対処として考えたいと思います。
3つのテーマに該当している詩の読み方とは、該当している詩の書き手のがわにのみに立つものだけでは、もちろんあり得ないと言う結論がまずここにあります。ある意味でも当然に多様にもある詩の意味は、不特定多数の読み手を想定し、詩作者は読者に読み方を委ねています。もちろん、それが作品ではあるかどうかについても、その作者の力量にもよりますが、読み手に恵まれているかも含めて、これらは、共同の幻想を抱えては終わる問題だけが横たわる代物でもあり得ないとしておきます。それだけに、このジャンルの詩作には、詩作者の主体性が問われるし、読み手に、何処まで、委ねて伝えることが適切かどうか、という所謂、詩作にもあんばいが生ずることになります。
ここにある詩作者と読者において横たわる不確実性がもたらす問題は、相当に重大な認識の問題でもあると、私自身は考えます。書きっぱなし、読みっぱなしに、していては当該テーマを主題とする詩作品の作品性に関わるし、ひいては、ビーレビューにて発表される詩作の価値の問題にも、関与せざるをえない問題でもありえるからです。何らかのガイドラインがあっても良いとも考えますが、詩作者と読者のコミュニケーションの問題では済みますまいと考えてしまいます。
個人による価値観の問題ではないか、と考えてしまう方もいらっしゃるかと思います。その問題提起については、一見、真面目で自然な印象を持ちますが、実に、独善的でもあり安直な考えだとも批判を受ける場合も想定されるのです。そのために、キュレーターさんがいるのでは、考える方もいらっしゃるかもしれない。
しかしながら、これらの他人行儀で他力本願でもある立場は、当該テーマに関しては、無力極まりない作品を拡大再生産してしまうことにも陥りかねません。詩作者と批評者が、気付きかねないことによる不作為の問題を露呈し続ける結果に陥るからです。
①②③のテーマについては、つまるところ、人間社会も含めての生命の危機のモチーフでもありえます。であるとするならば、少なくともショートメッセージでもある詩については、人間自身も含めた主体的な生命の危機からの回復をできうる限りでもとめることで、生命の尊重を、メッセージの帰結として、当該詩が具象性をもって、詩作者が読み手に届ける努力を見せることが、詩の読み方をより尊重することに帰着するのだろうと考えます。敢えて、奇をてらって前衛を語る作品のために、生命を冒涜するのは、読み手にとっても批判の対象とも考えてしまいます。したがって、このような批判の対象を見つけた場合には、放置することなく、生命を尊重する方向へ導くことが、ポジティブな詩の読み方にかかわり、詩作自身にもよい循環が出来てくるのではと思います。

Re: 詩の読み方について語るスレ - まりも

2017/08/21 (Mon) 11:15:10

kazさんやHAnedaさんのコメントにも関わって来るのかもしれませんが、竜野さんのコメントに対して・・・具体的な事例ということではなく、一般論として、という見地から、私の考えを述べたいと思います。

まず、オープンの投稿掲示板であるので、まだ判断力の未熟な未成年、あるいは心身に様々な負荷を負っている方が閲覧する可能性がある場所です。投稿、レス、共に、不用意な発言で、そうした方々を傷つけてしまうことが無いとも限らない。その時は、すみやかに両者が気持ちや意図を述べあい、誤解があれば解き、思想や精神文化が異なる場合は、お互いを尊重しつつ、一方の意見を無理に押し付けない方向で和解してほしい、と願っています。そのためのフォローや助力を惜しまないつもりです。

いわゆる15禁や18禁の範疇に入るのではないか、という作品が投稿された場合、どのように対処していくのか、ということに関しては、その時々に対応していく他ない、と思っていますが・・・できるだけ投稿者が、「私基準」ではなく、「世間一般は、どう判断するか」という基準を、自分なりに考えてほしい、と思っています。と言っても、個の考えを封じたり我慢したりする、ということではなく・・・表現したり、伝えたりすることは、ぜひ、積極的に行ってほしい。ただ、それを無理やり押し付けたり、自分の考えに従わせようとしたりする、という行為は慎んでほしい。

多様な考え方がある、多彩な感じ方がある。そのことに気付き、他者の立場に立って「思ったり考えたり」することができる、ふくよかな感受性、寛容な精神性が醸成される場であってほしい、と思っています。

真善美、を主張したり、ポジティブシンキングばかりを推奨したりするのは、光だけを見て影を見ないことだと思っていて、それは「世界」を片面からしか見ないこと、でもありましょう。人間の素晴らしさを描く詩人がいる一方、人間の残酷さや卑怯、陰湿、といった暗部を暴きだすような作品を提出して、人間とは何か、と問いかける。そんな詩人もいることでしょう。どちらが正しい、という事ではないと思います。

ただ、そのことによって、深く傷つくような人が出てしまったら・・・それは大変遺憾なことです。個別のケースで対応していく他はないですが、そのような可能性が予測される場合、投稿者どうしで、この表現は問題があるのではないか?と問いかけたり、人によっては傷つく可能性がある、と知らせたりすることも必要でしょう。ただ、それが持論や自説の「押しつけ」にならないことを願っているわけです。

不特定多数の読者に対して詩人は作品を発表するのであって、ある特定の立場の人に対して発表するわけではありませんし・・・もし、ある特定の立場の人を、批判したり非難したりする目的に「詩」を利用するのであれば、それは「詩」の文学的な発表ではなく、誹謗中傷の為に「利用」していることになるのではないか。それは、場に資する、というこの掲示板の目的に反する行為なので、つつしんでほしい、と願う次第です。

これは、私個人の意見ですが、個別に対応しなければいけない事案が生じた折には、他のキュレーターとも討議しながら、柔軟に対処していきたいと思っています。

長くなりました。このあたりで。

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